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新潟地方裁判所 昭和43年(ワ)97号 判決

原告 片野七司

被告 片野トシ

主文

別紙目録記載の土地が原告の所有であることを確認する。

被告は原告に対し右土地につき所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、原・被告の求める裁判

一、原告 主文同旨の判決

二、被告 請求棄却の判決

第二、原告の請求原因

一、原告は昭和三一年四月一九日訴外小松原庄平より同人所有にかかる別紙目録記載の土地(以下本件土地という)を交換によつて取得した。

原告は同年同月一四日被告(当時一一才七カ月)と養子縁組をしており、本件土地はいずれ被告が相続することになるので、便宜上本件土地につき被告を所有者とする登記をすることにし、同年同月二四日小松原より被告名義で所有権移転登記を受けた。

然るに被告は本件土地が実質的に原告の所有であることを争うので、被告に対し本件土地所有権が原告に属することの確認と原告への所有権移転登記手続をするよう求める。

二、仮に原告が本件土地につき被告を所有者とする登記手続をしたことが被告に対する贈与の申込に当るとするなら、被告はいまだ右申込に対する承諾の意思表示をしていないから、原告は本訴(昭和四六年七月二日、第一九回口頭弁論期日)において右贈与の申込を撤回する。

また仮に原告が被告に本件土地を贈与したとしても、それは被告が原告の養子として原告を扶養することの負担附で贈与したのである。然るに被告は右負担を全く履行しないので、原告は昭和四二年頃(または昭和四三年二月一八日被告に送達された本件訴状副本をもつて)被告に対し右贈与を解除する旨の意思表示をした。

以上のとおりで本件土地は現在原告の所有に属する。

三、原告の本件土地所有権取得の経過

(一)  原告はもと妻のヨシと共に京都市に居住していたが、ただ一人の子であつた長男を第二次大戦で戦死させ、また右戦争が次第に激しくなつてきたので、昭和二〇年頃ヨシと共に郷里の新潟県に帰り暫くの間ヨシの実家(同県中蒲原郡亀田町所在)に間借り生活をしていたが、昭和二六年頃原告の長兄である片野徳蔵(被告の祖父)より同人所有の新潟市長潟字小鍋潟乙七八四番池沼九畝二六歩の土地を原告の住宅敷地とするため贈与された。

(二)  右七八四番の土地は本件土地に隣接しており、両地を含む附近一帯の土地は当時鳥屋野潟の水面下にあつて一面に葦が生い茂り、そのままでは使用し得ない状態にあつたばかりでなく、附近には人家も全くなかつたので利用価値に乏しく、所有者らもこれを捨ててかえりみる者とてなく、右の土地の所有者であつた徳蔵自身すら右土地の位置を明らかにできない状態であつた。

右のような状況から原告は徳蔵より贈与を受けた七八四番の土地と当時小松原の所有であつた本件土地とを誤認し、七八四番の土地を埋立てている積りで実は隣接地の本件土地を埋立て整地し、昭和二七年七月頃本件土地上に家屋を建築して同所に居住するようになつた。

(三)  その後原告は昭和三〇年頃七八四番の土地のうち五畝を訴外加藤卓司に売却した。その結果七八四番の土地は昭和三一年に同番一の四畝二六歩と同番二の五畝とに分筆された。

(四)  ところがその後原告が埋立て使用している土地が実は七八四番一の土地ではなく小松原所有の本件土地であることが判明したので、昭和三一年四月一九日原告と小松原は一の土地と本件土地とを交換した。

四、本件土地について被告を所有者とする登記をした事情

(一)  原告は昭和二六年七月以降本件土地において釣客相手の貸舟をしたり川魚をとつたりして生活をしていたが、明治一九年一〇月二六日生れの老令でいつ迄も働くことができないうえ、前記のようにただ一人の子を戦争で失い原告を扶養してくれる人もなく老後の生活が非常に不安だつたので、徳蔵の孫である被告(徳蔵の長男三蔵の二女、昭和一九年九月九日生)を養子として迎え将来原告の老後の扶養をして貰うことにし、被告の親権者であつた三蔵夫婦の代諾によつて被告と養子縁組をした。

(二)  そして当時たまたま小松原との間で前記のように土地交換の問題が生じており本件土地について移転登記を受ける必要があつたので、原告としては被告が原告の養子となつて親子の関係を維持継続していくなら、いずれは被告が本件土地を相続取得することになるので、便宜上本件土地については被告の名義で所有権移転登記を受けることにし、昭和三一年四月二四日小松原より右登記を受けると共に、当時登記上徳蔵所有となつていた一の土地については徳蔵より必要書類の交付を受けて小松原へ所有権移転登記をしたのである。

五、被告への贈与(負担付)とその撤回ならびに解除の事情

(一)  仮に原告が被告に本件土地を贈与したとしても、右贈与は被告が原告の養子として原告の終生にわたり原告との親子関係を維持し、原告を扶養することの負担付でなされたものであり、被告の親権者たる三蔵夫婦も原告のかかる意思を充分に知悉していた。

(二)  原告は右縁組後被告と互いに親子としての情愛をもつためには、できるだけ早期に被告と同居して生活を共にするにしくはないと考え、被告との同居を希望しその旨被告および三蔵夫婦に度々申入れたが、被告はこれに応ぜず三蔵夫婦も被告に原告との同居を勧めなかつたので、被告は縁組後も引続き三蔵夫婦のもとで養育されていた。

昭和三二年二月原告の妻ヨシが死亡し、原告は同年一二月現在の妻ギヨウを迎えたが、被告も既に小学校を卒業し中学生となつていたので、原告とギヨウは被告が原告方で生活することを希望し、被告と三蔵夫婦にその旨申入れたが、被告らはこれを拒否し、その後被告が中学校を卒業し小松原材木店に勤務するようになつてからも同様の申入れをしたが、被告らは言を左右にして原告の申入れに応じなかつた。

(三)  その後被告は昭和三九年一二月二一日浅利彰輔と婚姻し、一方、原告は老令のため働くことができなくなり従つて収入の途もとだえてきたので被告の扶養を必要としたが、被告は原告と同居することもなく、また扶養することもしない。

それのみか被告は昭和四一年一一月頃原告の住宅敷地である本件土地を原告に無断で他に売却しようとしたり、昭和四二年五月原告が毎年の水害(住宅浸水)を避けるため本件土地の一部に建物を建築しようとしたのに対し建築禁止の仮処分(新潟簡易裁判所同年(ト)第一二号)をし、更に原告との離縁を求める調停申立(新潟家庭裁判所同年家(イ)第二〇七号)をし、それが不調となるや本訴(新潟地方裁判所同年(タ)第二五号)を提起し、今後とも原告を扶養する意思がないばかりでなく原告との養親子関係を維持する意思もないことを明らかにした。

(四)  以上の次第であるから原告は被告に対する本件土地の贈与を撤回し、また被告が負担を履行しないので贈与を解除したのである。

第三、被告の答弁

一、請求原因第一項のうち、本件土地がもと小松原庄平の所有であつたこと、昭和四一年四月一四日原・被告が養子縁組の届出をしたこと、同年同月二四日本件土地につき小松原より被告に対する所有権移転登記がなされたことを認め、その余は否認する。

本件土地は被告が小松原より買受け所有権を取得したものである。

二、同第二項のうち、原告主張のような贈与の撤回と解除の意思表示があつたことは認めるが、その余は否認する。

三、同第三項のうち、

(一)は、身分関係と徳蔵が七八四番の土地を所有していたことを認め、右土地の贈与は否認、その余は不知。

(二)は、本件土地と七八四番の土地とが隣接しており、いずれも当時相当部分が鳥屋野潟の水面下にあつたこと、原告が主張の誤認埋立をし本件土地上に家屋を建築し居住するようになつたことを認め、その余は否認。

(三)は、原告が売却したとの点を否認、その余は認める。

(四)は、交換を否認、その余は認める。

四、同第四項のうち、

(一)は、身分関係を認め、その余は不知。

(二)は、登記について認め、その余は否認。

五、同第五項のうち、

(一)は、すべて否認。

(二)は、縁組後も原・被告が同居しなかつたことおよび原告の妻ヨシの死亡について認め、その余は否認。

(三)は、被告の婚姻および被告が原告主張の仮処分、調停、本訴の各申立をしたことを認め、その余は否認。

六、被告の反論

(一)  七八四番の土地は徳蔵が原告に無償使用を許諾したに過ぎず、贈与したのではない。また本件土地の埋立は三蔵が原告に用具を貸与し、一部については労力を提供してなされたものである。

(二)  七八四番のうち五畝を加藤に売却したのは三蔵であり、その代金一〇万円は三蔵が取得している。

(三)  本件土地と一の土地は交換したのではなく、相互に売買したのである。

即ち昭和三一年に本件土地と一の土地の誤認が判明したので、徳蔵と小松原はそれぞれの所有地を交換することになつたが、当時たまたま原告夫婦と被告が養子縁組をすることになつていたので、三蔵は徳蔵と相談の上本件土地を被告の所有とすることにし、交換では当事者が喰いちがうので、一の土地は徳蔵から小松原に売渡し、本件土地は小松原から被告に売渡してもらつたのである(実質は徳蔵と小松原が交換し、徳蔵が本件土地を被告に贈与したのと異ならない)。

なお右売買およびそれを原因とする登記手続をなしたのは三蔵であつて原告ではない。本件土地の登記済証は三蔵から被告の養親である原告に保管を託していたが、昭和四一年七月頃原告より被告に返還された。

(四)  また原告は昭和四一年一〇月頃本件土地の東側に隣接する一二九四番の土地を武田静一に売却したところ、武田は本件土地に六坪ほど越境して土盛りをしたため被告と争いになり、同年一一月二一日両者間で和解(新潟簡易裁判所同年(イ)第三二号)が成立した。原告は被告が本件土地の所有者として武田と争い和解をし且つ右和解により武田から毎年二万一、六〇〇円の賃料相当損害金を取得していることを知りながら異議を述べていない。

(五)  原・被告の養子縁組をしながら今日迄一度も同居しなかつたのは原告側の責任である。

即ち、昭和三一年縁組当時被告は幼少でありまた原告の妻ヨシが病弱であつたため両家が相談の上、被告は暫くの間三蔵方で養育することになつた。

昭和三一年二月ヨシが死亡し、原告は昭和三二年一二月ギヨウと再婚したが、ギヨウは被告に対し好意を持たず、両家の間は疎遠となつた。

昭和三九年被告は浅利彰輔と婚姻したが、ギヨウはこれを喜ばず原告ともどもその結婚式に出席しなかつた。

被告夫婦は結婚後三蔵方に同居していたが、その後原告方に同居を願い出、また本件土地の空地部分に被告夫婦が家屋を建てることを許して欲しいと願い出たが、いずれも拒否された。

然し被告夫婦はいつ迄も三蔵方に同居しているわけにはいかないので昭和四一年一一月再度右空地部分に家屋新築を願い出たが、原告はこれを拒否したばかりか、被告不知の間に同年一二月には小野留次・ミヨ夫婦と養子縁組をし、空地部分に自から家屋建築を始めた。

原告はこの頃から七八四番の土地の贈与や本件土地の所有権を主張し始め、原・被告の争いが始まつたのである。

以上のとおりで、原・被告の養子関係はギヨウが被告に対し好意を持たなかつたことを根源とし原告夫婦の責に帰すべき事由によつて破綻したのであり、この間被告が原告の扶養をする機会など一度も与えられなかつたのである。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

第一、原告の本件土地取得と被告への贈与について

一、本件土地がもと小松原庄平の所有であり、これに隣接する七八四番の土地九畝二六歩が片野徳蔵(原告の長兄)の所有であつたこと、昭和二六年原告が徳蔵より七八四番の土地を贈与されたか単に無償使用を許諾されたに過ぎないのかはさておき、原告が右土地と本件土地とを誤認して本件土地を埋立て整地し、同地上に家屋を建て爾来今日迄本件土地を占有使用していること、昭和三〇年に七八四番のうち五畝が加藤卓司に売却され、昭和三一年に同番一の四畝二六歩と同番二の五畝とに分筆されたこと、昭和三一年四月一四日原告と被告(徳蔵の長男三蔵の二女)とが養子縁組をしたこと、同年四月二四日原告主張の交換がなされたか或いは被告主張の売買がなされたかはさておき、本件土地については小松原より被告へ、一の土地については徳蔵より小松原へそれぞれ所有権移転登記がなされたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

そして右争いのない事実と証人加藤卓司の証言によつて成立を認める甲第一、二号証、成立に争いのない乙第四、第八ないし第一〇、第一二、第一四号証、証人加藤卓司、片野三蔵(第一、二回)の各証言ならびに原告本人尋問(第一、二回)の結果を綜合すると(但し乙第四号証と三蔵の証言ならびに原告本人尋問の結果中後記認定に反する部分を除く)、七八四番一の土地は原告が徳蔵より贈与を受けたものであり、本件土地は原告の誤認による埋立使用が判明しその解決のため原告と小松原が両地を交換したことにより原告が所有権を取得したもので、被告への所有権移転登記は原告が養子の被告へ本件土地を贈与し中間省略によつて小松原より被告へ直接移転登記がなされたものであること、以上の事実を認めることができる。

二、ところで被告は以上の認定にかかる徳蔵・原告間の七八四番一の土地の贈与、原告・小松原間の右土地と本件土地との交換、原・被告間の本件土地の贈与のすべてを争つているので更に補説する。

(一)  七八四番一の土地の贈与について

右贈与については書面の作成も登記もなく、原告と三蔵の対立する供述(原告については本件における尋問結果、三蔵については当庁昭和四二年(タ)第二五号、同四三年(タ)第四号事件の証人調書である乙第四号証)以外他に確たる証拠はない。そこで当時における右土地附近の利用状況とその価値、原告が埋立使用をなすに至つた動機や事情、これを許諾した徳蔵側の事情などから右両者の合理的な意思を推測し、右土地の埋立使用が単に親族間の情誼に由来する無償の貸借に基くものか或いはこれを超えて土地の贈与がなされたものとみるべきかについて考える。

1、前掲乙第四号証、加藤の証言ならびに原告本人尋問の結果によれば、七八四番土地と本件土地附近一帯はもと鳥屋野潟の水面下にあり、昭和二三年土地改良事業に伴う鳥屋野潟の揚排水により潟の水位が低下したとはいえ、昭和二六年当時においても右両地附近一帯はいまだ大部分が水面下にあり葦や真菰の生えた池沼で、当時附近に人家とてなく、この地の一部を埋立て住居を構えたのは原告が最初であること、また徳蔵自身七八四番の土地の位置が判らず、原告は加藤に依頼して更正図をもとに検尺して貰らい右土地の一部(分筆後の同番一に相当する部分)と思つて実は隣接する本件土地を埋立て使用していたこと、右誤りを原告および徳蔵はもとより所有者の小松原さえ約五年間も判らずにいたこと、以上の事実を認めることができ、右事実によれば昭和二六年当時における七八四番と本件土地の附近一帯はいまだ未開発の池沼で価値に乏しく所有者においてもさほどの関心を持たず利用せぬまま放置していた土地であつたと認められる。

また前掲証拠によれば、原告はその主張第三項(一)のような事情で昭和二〇年頃から妻ヨシの実家に間借りしていたが、昭和二六年頃同所を立退かねばならぬこととなり、長兄の徳蔵に対し鳥屋野潟の池沼内にあるという七八四番の土地を探して埋立使用することを願い出たこと、そして原告が右のような状況にある土地を自己の労力と費用によつて埋立てこれを利用可能な宅地に造成したのは同地に住居を構え釣客相手の貸舟や川魚の漁によつて生計をたて余生を送るためであつたと認められる。

2、以上のような事実関係のもとにおいて当事者である原告と徳蔵の意思を合理的に解釈するなら、原告としては七八四番の土地のうち少くとも自己の埋立使用する部分は原告がその余生を送るための生活の本拠として使用すべく徳蔵に対し右部分の土地の贈与を願い出たのであろうし、また徳蔵においても当時同人にとつては利用価値に乏しくその所有についてさほどの関心を持たずに放置しておいた七八四番の土地のうち少くとも原告が埋立使用する部分は兄弟の誼しみから原告の願いに応じこれを原告に贈与する意思で原告に埋立使用を許諾したとみるのが相当であり、右土地使用の許諾をもつて当初から将来における返還を予定した貸借関係を意図したものであつたとみるのは相当でない。

3、次に前掲甲第二号証、乙第四、第九、第一〇号証、加藤の証言ならびに原告本人尋問の結果を綜合すると、加藤は原告が前記の如く七八四番の土地と誤認して本件土地を埋立て居住後の昭和三〇年四月頃右土地附近が将来次第に開けていくものと考え原告に対し七八四番の土地のうち原告が埋立てていない部分を売却して欲しい旨申出で、原告が徳蔵および三蔵に相談したところ、当時徳蔵方では農機具購入の資金が必要であり、また当時右の者らはすべて原告が本件土地ではなく七八四番の土地のうち分筆後の同番一に相当する部分を埋立使用しているものと誤認していたことから加藤の申出を承諾し、七八四番の土地を鳥屋野潟に向つて縦に二分し、原告の埋立部分を同番一の四畝二六歩、埋立てていない部分を同番二の五畝とし、右二の土地を加藤に代金一〇万円で売却し昭和三一年二月一四日に分筆したものと認められる。

4、以上述べた経過に照らせば、原告が実際に埋立使用していたのは本件土地であるけれども、当時の関係者の認識によれば原告は七八四番一の土地を埋立使用していたのであるから、右土地は原告が徳蔵より贈与を受けた土地であると解するのが相当である。

(二)  本件土地と一の土地の交換について

1、右については前認定のとおり一の土地が原告に贈与されたものである以上、原告の本人尋問における供述のとおり、原告と小松原が原告の誤認による本件土地の埋立使用という問題を解決するため相互に等しい面積の土地を交換したものと認められる(前掲乙第一四号証によれば本件土地はもと姥ケ山字囲外一二九〇番池沼五畝の土地であつたが、右交換のため一の土地の地積に等しい一二九〇番一の四畝二六歩(本件土地)と同番二の四歩とに分筆されたものである)。

2、なお前掲甲第八、第一二号証と原告本人尋問の結果によれば、右交換は当時一の土地の登記上の所有名義が徳蔵となつており、また本件土地は後記の如く原告より被告へ贈与されたため、登記手続の便宜上代金を等しく一万二、〇〇〇円とし相互に登記原因を昭和三一年四月一九日付売買として中間省略登記をしたものと認められる。

(三)  原・被告間の本件土地贈与について

原告は被告への本件土地所有権移転登記についてそれは単に形式に過ぎず、実体上は原告の所有であつたと主張するが、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原告は本件土地誤認使用の問題解決のため両地の交換をし、その登記をする必要が生じたのを機会に本件土地を養子の被告に贈与したものと認められる(原告は当初被告に対する贈与とその解除を主張し、被告が右贈与を否認するや、その主張を変更して被告への登記を単に形式に過ぎないとして贈与を否定し、仮定的に贈与の撤回と解除を主張するに至つたのである。なおこの贈与の点のみを捉えればそれは原告の請求については不利、被告にとつては有利な事実でありながら被告はこれを否認し援用していない。然し被告の援用の有無に係らず原告において被告に対する贈与を主張しこれが証拠により認定し得る以上、裁判所はこの事実を訴訟資料として原告の請求について判断を進めるべきである)。

(四)  被告の反論について

被告の反論第六項の(一)ないし(四)における主張事実はいずれも前記(一)ないし(三)の認定を妨げるに足りない。

即ち(一)の三蔵が原告の埋立に主張のような協力したといつても、それは本家・分家の情誼からいえば当然のことであり、(二)の七八四番二の土地の売却代金を徳蔵が取得したからといつて同番一の土地の贈与を否定することはできないし、(三)の登記が売買を原因としてなされている事情については既に説明のとおりであり、小松原との折衝および登記手続についてはそれをした者が原告か三蔵かについては両者の供述が対立しているけれども、仮に三蔵がしたといつても原告が全く無関係であつたとは認め難く、むしろ両者の供述を綜合すれば両者が共に関与したものと認められ、登記済証返還の趣旨に関する三蔵の証言はにわかに措信し難たく、(四)の武田との関係については原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨とによれば原告としては武田が本件土地へ越境しているとは考えていないことおよび当時既に被告とは不仲となつていたことから被告と武田が争うままに放置していたことが窺われ、武田との間で被告が本件土地の所有者であることを前提とする和解がなされたことは前記(一)ないし(三)の認定を動かすに足りない(なお形式的な理屈をいえば、当時本件土地についての贈与は撤回も解除もされていないから、本件土地は当時被告の所有であり、従つて被告が所有者として武田と和解するにつき原告が異議を述べなかつたことは敢えて異とするに足りない)。

以上のほか成立に争いのない甲第一八ないし第二〇号証と三蔵の証言(第二回)によれば、本件土地の公租公課は昭和三八年以降三蔵が支払つている(その以前は無税である)ことが認められるけれども、その額は僅少であり、且つ先に附言した( )内の事由を加えれば、これも前記(一)ないし(三)の認定を動すに足りない。

第二、本件土地の贈与の撤回ならびに解除について

一、贈与の撤回について

右贈与に基く本件土地の所有権移転登記(中間省略による小松原から被告への登記)がなされたことは前記のとおりであり、この事実によれば右贈与の申込は既に受諾されたことになるから、原告主張のような理由での撤回はできない。

二、贈与の解除について

(一)  原告本人尋問の結果によれば、原告が被告に本件土地を贈与したのは原告主張のとおり原・被告が終生にわたつて養親子関係を維持し、被告が養子として原告の老後の扶養をしてくれることを期待してのことであつたと認められる。然し右のような期待は養子縁組をする以上当然のことで、養親が右のような期待のもとに養子に物を贈与したからといつて、右の期待が贈与の負担となることはない。従つて本件土地の贈与が負担付であることを前提とする解除の主張は理由がない。

(二)  然し原告が本件において主張する事実関係よりすれば、原告は本件土地の贈与が原・被告の養子縁組を契機とし原・被告が養親子としての共同生活を行うことを前提としてなされたにも拘らず、原・被告は嘗て一度も同居したことがなく養親子としての実質が全く形成されぬまま縁組が破綻するに至つたので右の贈与を解除するというのである。

思うに贈与が親族間の情誼関係に基き全く無償の恩愛行為としてなされたにも拘らず、右情誼関係が贈与者の責に帰すべき事由によらずして破綻消滅し、右贈与の効果をそのまま維持存続させることが諸般の事情からみて信義衡平の原則上不当と解されるときは、諸外国の立法例における如く、贈与者の贈与物返還請求を認めるのが相当である。

本件においては、原・被告が昭和三一年四月一四日縁組届出をした養親子でありながら今日迄嘗て一度も同居したことはなく、昭和四一年以降本件土地の使用や所有をめぐつて争い、昭和四二年以降互いに離縁を求め訴訟を提起し養親子関係の解消を希望していることは当事者間に争いがない。

そして前掲乙第四号証、証人片野ギヨウ、同彰輔の各証言ならびに原・被告各本人尋問の結果と弁論の全趣旨を綜合すれば、

1、昭和三一年の縁組当時被告は一一才で、原告の妻ヨシが病弱であり、また原告方が埋立地の粗末な一軒家で淋しく然も被告の通学に難がある等の事情から、被告が原告方に移るのは被告がもう少し成長する迄待とうということになり、縁組届出後も被告は三蔵方で引続き養育されたこと、

2、然し結果的にはこれが災いして原・被告は互いに同居のきつかけを逸し、原告方では被告を引取るため積極的に働きかけることをせず、また三蔵方でも被告を容易に手離そうとせず、被告自身も積極的に原告方へ移ることを希望せぬまま歳月を経過し、更に原告方と三蔵方の交際・往来は疎遠ではないにしてもさほど緊密ではなかつたらしく原・被告が互いに養親子としての情愛をかもし出すような機会もないままに、被告は三蔵方で成人してしまつたこと、

3、その後昭和三九年の被告と彰輔の結婚についても、原告としては三蔵が主導権を握つて話を進め決定したことに不満を持ち、また結婚式の前に三蔵がギヨウに対しギヨウが亡夫の位牌を持つて原告と再婚したというようなことを云つたことから大喧嘩をし、そのようなことが原因で原告夫婦は被告の結婚式に出席せず、それが原告夫婦と被告夫婦や三蔵夫婦との間の心理的な溝を深める結果となつたこと、

4、被告夫婦は右結婚後三蔵方に同居していたが昭和四一年頃になつていつ迄も三蔵方に同居してはいられないということで原告夫婦に同居を申出たが原告夫婦は既に被告夫婦に対し同人らと生活を共にするほどの親しみを持つていなかつたため同居を拒否したこと、

5、そのため被告夫婦が本件土地の空地部分に家屋を建築することを計画し、原告夫婦がこれに反対したことから本件土地の使用方法のみならず、その所有権の帰属について迄争いが発展したこと、

6、原告夫婦は右のような争いから被告夫婦と精神的に全く離反し昭和四一年一二月に小野留次夫婦を養子としてこれと同居し、一方被告は昭和四二年に至つて原告との離縁を求める調停や本訴を提起し、原告も同旨の反訴を提起して互いに養親子関係の解消を希望していること、

以上の事実を認めることができる。原・被告は両者の縁組が破綻した原因はそれぞれ相手側にあると主張し互いに非難し合つているが、前記認定の事実よりすれば原・被告の一方のみが今日の破綻について主たる原因を作つた有責者であるとは断じ難たい(代諾縁組の場合大切なことは、生みの親より育ての親という諺が示めすとおり、養親子ができる限り早期に生活を共にして親子としての情愛や精神的なつながりを醸成することにある。然るに原・被告は前記1のようなどちらが良いとか悪いとかいえないような事情で縁組直後に同居しなかつたため、その後同居のきつかけを失つたまま被告は三蔵方で成人してしまつた。被告はギヨウが被告に好意を持たず引取ろうとしなかつた旨主張するがそのような事実は認められない。また被告は結婚後原告方での同居を希望し拒否された(原告夫婦がこれを希望した事実は認められない)ことをもつて原告を非難するが、それ迄嘗て一度も同居せず親子としての精神的つながりを持たぬ者が、単に一〇年前に縁組をしているとの一事で同居し得るものでもあるまい。原告夫婦が被告夫婦の申入れを拒否したからといつて(逆に原告夫婦が被告夫婦に同居を申入れ被告夫婦がそれを拒否したとしても)、相手方のみを一方的に責めることはできないだろう。右に述べたとおりで縁組破綻の主たる原因を原・被告のいずれか一方にあるとは断定できないのである。なお原・被告間の当庁昭和四二年(タ)第二五号、同四三年(タ)第四号離縁請求事件において原・被告の離縁請求はいずれも認容されている)。

(三)  以上述べたところによれば、本件土地の贈与は前記(一)のとおり何らの負担もなく原告が被告との縁組を契機に実質的な養親子関係が形成されることを期待してなした無償の恩愛行為であるところ、(二)のとおり原・被告間には嘗て一度もそのような実質が形成されたこともないまま破綻に至り現在双方が縁組の消滅を希望し、然もその破綻について贈与者である原告の側に主たる有責の事実があるとは認められず、更に本件土地は第一の一、二に認定のとおり原告が昭和二六年、当時誰も利用していなかつた池沼の一部を自己の労力と費用で埋立て造成した宅地であり、爾来今日迄原告の生活の基盤として使用されているものであることなど諸般の事情を考慮すれば、本件土地贈与の効力をそのまま存続せしめることは信義衡平の原則上相当ではないから、原告の本訴における返還請求権の行使を認めるべきである。

従つて本件土地所有権は右返還請求権の行使により原告に復帰したことになる。

第三、結び

よつて原告の被告に対する請求をすべて認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井野場秀臣)

(別紙)物件目録

新潟市長潟字北谷内一二九三番

一、宅地 四九九・一七平方メートル

この従前地

新潟市姥ケ山字囲外一二九〇番一

一、池沼 四八二平方メートル(四畝二六歩)

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